母親の呪い

端的にいうと、母親から兄弟間差別、精神的、肉体的虐待、コントロール、着せ替え人形にされてたことなどに約22年間気づかなかったって言う話。
多少記憶の改竄はあるかもしれないけど、されたことを書いていくから、これを読んで「おや?」と気づける人がいたらいいな。やってしまってる人もやられている人も。
私に心当たりがある人はスルーして触れないでね。

たぶん高1で始めたTwitterのおかげでいろんなことに気づけたと思う。色んな人と交流したり、世間のことを知ったりして、自分の視野の狭さや無知っぷりに驚いた。そうして視野が広がっていく中で、精神的虐待や機能不全家庭について知る機会があって、その度に「おや?」と思ってた。
大学2年生だったと思うんだけど、ずっと「おや?」と思っていたことをフォロワーに話したら「それは普通じゃない。おかしいよ」って言ってもらえたのが転機。

たしかによく考えたらおかしいんだと思う。

精神的虐待に関しては最近Twitterでもちょっと話題になったやつ。
記憶がある限り、小3くらいからずっと父親の文句と悪口を聞かされてた。私だって半分は父親の血が流れてるのに。小5の時、耐えきれずに「そういうの私に言うのやめて欲しいんだけど」って言ったら「じゃあ誰に言ったらいいの?私だって吐き出したいよ」って言われて、もう勝手にしてくれと思った。これは今も続いてる。
あとは母親のヒステリーをぶつけられるのも私だった。泣きながら私に関係ないことをガーッと言われる。ただメンタルサンドバッグにされるだけ。私は娘であって、友達ではない。

身体的虐待はちょっと微妙。日常的に暴力振るわれてたわけじゃないから。
小言を言われる程度だったら特に何もないけど、機嫌が悪い時に怒らせると、とにかく怒鳴られるし拳で頭を力一杯殴られる。衝撃で床に転げることもしょっちゅうだった。21歳で殴られた時はびっくりしたよね。私の身長と体格では反撃できないからされたんだと思う。
幼稚園の年中の時、何度も言われてるのに片付けをしないという理由で(これは私が悪かった)リ○ちゃん人形の硬いプラスチック製のソファを投げつけられ、眉あたりに角が直撃、たんこぶと切り傷ができた。今思うとマジでありえないんだけど、翌日幼稚園で担任の先生に「転んでぶつけたんですよ〜」って説明してた。
去年24歳になったけど、今でも近くで母が腕を動かすと、反射的に体がビクッとなって腕で頭を守ってしまう。

次に弟たちとの差別。
わたしには2個下の弟と4個下の弟がいる。彼らは新しい洋服を買ってもらえるのに、私は小学校卒業まで見知らぬ人(母の知人の娘さん)や、近所のお姉さんたちからの大量のお下がりばかりだった。卒業式も近所のお姉さんのを借りたからサイズが合ってなくてガバガバで、新しい服(自分で選んだ新品の服)が欲しいって言うと「箪笥に入りきらないくらい洋服持ってるでしょ」って言われた。
私の門限は20歳まで22時。弟たちは高校の時にはもう門限12時だった。彼らは門限破ってもちょっと怒られるだけで済むのに、私は少しでも過ぎると、たとえ事前に連絡してても帰宅すると激怒された。
意味わかんないって思ったのが高校のイベントでディズニーランドに行った時。「閉園まで遊んだから家に着くの12時前になります」って連絡したら、「門限何時だと思ってるの!?」って怒涛のLINEが送られてきて、帰宅したら怒鳴られた。弟は中2で同じようにディズニーランドへ行って12時前に帰ってきてもお咎めなし。男女の差はあるし心配してくれてたのはわかるけど、高3の私と中2の弟でそんなに違うんだね。
差別されてること自体は小学生の頃からずっと感じてて、「差別するのはやめて欲しい」って言ったこともある。「してない」って一蹴されたけど。家庭(というか母親の)方針で「兄弟の間で差をつけないためにお姉ちゃんお兄ちゃんって呼ばせない」って育てられて、それは別にいいけど、言ったあんたが差別してるってわけ。
2つ下の弟は差別されてることに気がついてたし、彼も1番下の弟とは差別されてたから「おかしいよね?」って言ってくれた。1番下の弟は母親から末っ子特有の甘やかされ方してたから、それが当然という態度だったけど。
まあ私は弟たちが世界で一番大事なので、私が嫌だなと思ってたこと(門限とかお小遣いとか)を経験しないで済んだのはよかったなと思ってる。これからも嫌な思いをしないといいな。

コントロールされてたっていうのは、母親の言うことに従わなければいけない、というのが無意識にあったんじゃないかなという自己分析。反抗するという発想はなかった。従っておけば面倒なことにならないから。
高校も大学も「ここいいんじゃない?ここにしなよ」って言われたところに行った。外国語科。本当は音楽科に進みたいと思ってたけど、専門に絞っちゃったら潰しが効かなくなるよって言われた。幼少期から音楽だけはわりと才能があって、中学の吹奏楽部で始めたフルートとピッコロは自分で言うのもなんだけどかなり上手い方だった。結局、高校の吹奏楽部がものすごく合わず統合失調症みたいになり、2曲分のスコアを机に叩きつけて怒鳴る顧問に引き止められ、半年以上かけて退部したから音楽科に行かなかったのは正解だったのかもしれない。
部活を辞めた後はバイトを始めた。初めての仕事で何にしようかワクワクしながら求人見てたら「初めてなんだし、コンビニにしときなさい」って言われて応募させられた。店長もマネージャーもいい人だったから結構長い間働いたけど、私の意思が無さすぎて笑う。大学で違うバイトしようとした時も「あそこのレストランいいんじゃない?」って言われて、なぜかそこで働いた。合わなくて1年しないうちに辞めて、その後選んだのは歯科助手ガールズバーガールズバーは絶対嫌がると思ったから黙ってやってた。最後の方は気づいてたみたいだけど。
高校も大学も楽しかったし、あそこに通わなかったら出会わなかった人、できなかった経験がたくさんあるから行ってよかったとは思ってる。
就職先くらいは自分の意思で決めるぞと意気込んで、選んだ業界の大企業に入った。内定が決まった時、母親にこういう業界でこういう仕事をするって説明したら「すごいじゃない!やっぱり中学生の時にそういう感じの仕事したらいいんじゃないって言ったのはあってたね!」って言われて乾いた笑いが出た。偶然かもしれないけどね。今は転職して全く違う仕事してる。

着せ替え人形については微妙なところもあるかもしれないけど、母親は「娘」が可愛いというより「自慢できることが多い娘」が可愛いんだろうなと思ってる。それなりに成績が良くて、かつてミスコンで準グランプリを取った自分に似て整った顔立ちをしている近所でも評判の美人で、小学生から何度も学級委員を務め(母に言われたからやっただけ)、音楽の才能もあり、塾に通ったことがないのに受験も検定も失敗したことはほぼなく、就職先は東証1部上場の大企業。これを私がいないところで色んな人に「さすが私の娘!」と自慢するし、自慢したのよって報告してくる。貶されるよりいくらかマシだと思うけど、私がいると普通に貶すというか、過去の失敗や私が人に知られたくないことを勝手にガンガンしゃべる。
自慢の娘に傷がつくのが嫌だったのか、高1で英検2級に2回落ちた時は激怒された。2級って確か高校卒業レベルなんですけどね。怒られたくないから3回目で合格した。
さらに、ナチュラルボーンで美人な娘っていうのを信じてたから、私が化粧をすることに異様に拒否反応示してた。実際元の顔立ちはかなり濃いんだけど、「メイクしたら派手になりすぎる」「化粧したら舞台メイクみたいになる」って言われて、することが許されない雰囲気があった。化粧した方が綺麗に決まってるだろうが。化粧のやり方なんか知らずに大学生になってしまって困ったし焦ったけど、フォロワーとTwitterに助けられた。サンキュー。今は化粧について何も言われないし、顔立ちはっきりしてるからそういう濃いメイク似合うわねって言われる。知り合いのBAさんが「自分の顔に似合う化粧がわかってるし上手よね〜!」って母の前で褒めてくれたのが救い。

そしてこれはもう何?って話。
大学2年の終わりに「離婚しようと思ってる」って突然言われた。その頃には両親の仲が良いわけじゃないことにはとっくに気づいてたからいずれそうなるとは思ってたけど、やっぱり家族に対する情はあるからちょっと泣きそうになった。そんな私に続けて言ったのが「○○はもう成人してるから親権とかないし、新しく自分だけの戸籍を作ることもできるから」っていう事務的な話のみ。この時点で人の心無い?って思ったけど、同じ話を2つ下の弟が第一志望の大学に落ちた日にされたと本人から聞いて、本気で無理だと思った。この事だけは一生許さない。分籍のことは何を言ったらいいのか分からなくて言い出したのかもしれないけど、気遣いなさすぎる。離婚は揉めに揉めて家庭裁判所に持ち込んで、親族全員巻き込んで実家同士の関係もゴミクソレベルになった挙句、未だにできてない。もう勝手にしてくれ。

あとはジェンダーロールの押し付け。家事の手伝いは普通に兄弟3人でやってたけど、たまに「今日はおかずのこれの作り方教えてあげる」って言われて、テレビ見てるのにやらされたりすることがあった。家族みんなでバラエティ見てるのに「りんごの皮むきの練習するよ」って言われて私だけ何度も延々やらされた。「将来彼氏とか旦那さんができた時に困らないように」「好きな食べ物くらい自分で作れるように」って言われたけど、頼んでないんだよな。助かってはいるけど。

就職して実家を出て、なんやかんやあって今は1人で暮らしてて、弟たちは心配だけど、母とも父とも一定の距離を置いた方が気が楽。フォロワーの「家族は血の繋がった他人」って言葉にめちゃくちゃ救われてる。
父の話を全然しなかったけど、私が精神的虐待を受けてたこと、20歳超えても殴られてたことは知らなかったから特に悪感情抱いたりはしなかった。むしろバイトで帰り遅くなったり、天気悪かった時に駅まで迎えに来てくれたり、そうじゃなくても私が帰宅するまで起きてくれてたから良い父親だったと思う。ただ最近は私がいる前で母のことを悪く言う時があるので、無いな〜と思う。私にも半分母の血が流れてますよ。
両親以外の親戚も誰も信じられない。母親から離婚の話をされた時、もう無理だと思って信用してた親戚に「母親には言わないで」と頼んで相談したら、私が帰宅する前にはもう母親にしゃべってた。弟とフォロワーしか信じられない。

こんな感じで育ったわけだけど、22歳の時フォロワーに言われるまで、自己肯定感が低いことに気がついてなかった。弟たちと年が近かったり差別されてたりで、愛情不足だったのかなって思う。自分のことが好きじゃないのは当たり前だと思ってた。
このせいだとは言い切れないけど、彼氏には依存してしまうし、モラハラされてたのも気づかなかった。自己肯定感低いとモラハラされやすいみたい。親から与えられるべきだった愛情をパートナーに求めるのが間違ってるのは知ってる。恋人はパパやママじゃない。

決してずっと良い子だったわけじゃないし、これは叱る親が正しいってことだってたくさんあった。金銭面で迷惑をかけてしまったことだってある。習い事はさせてもらえたし、高いのにフルートは良いものを買ってもらった。今も大事に持ってる。誕生日とかクリスマスにもらったプレゼントは捨てられない。成人祝いのプレゼントが喪服(ブラックフォーマル)だったのはどうかと思うけど買ってもらったのは助かった。4年制の私立大学を出させてもらったし、何より実家を出るまで22年間育ててもらった。

それでも親とは距離を置きたい。親戚ともなるべく一定の距離を保ちたい。一人暮らししてても、ふとした瞬間に「そういえばあんなことあったな…」って嫌な気持ちを思い出す。生活のあちこちにそういうのが散りばめられてる。
縁を切ることはできない。嫌な思い出と良い思い出を天秤にかけて、トントンになったらしょうがないかって自分の中に落とし込んじゃうから。これ本当は天秤にかけるべきものではないんだろうね。でも良い思い出があるから親を嫌いになりそうな自分を嫌いになってしまう。

きっとこれからもりんごの皮を剥くたびに嫌な気持ちを思い出す。これが母親から受けた呪い。